2013年10月20日

十六夜                  秋土用

台風が通過をする度に、気温の上下が激しくなり不安定になる。
やっと晩秋の気候になり始めたところ、寒くなったり暖かくなったり。

魚・野菜が安定しないどころか、うどんにまで被害が及ぶ。
うどん玉を伸すと厚さが一定にならず、太さにムラが出てしまう・・・・"o(-_-;*) ウゥム…

未だ下手なのだな。


プチ宴会があり、コーラの注文を受けた。
メニューには無いので、向かいの生協まで走る。
1,8リットルのペットボトルと500oのペットボトルが置いてある。
値段がたいして違わないので1,8リットルを購入。

少し余ったので、コークハイを作ってみた。
ウイスキーの変わりに焼酎で割る・・・・旨い不味いは別として、青春の味。

そういえば小学生時代に、伯父から飲ませて貰ったコーラがやけに旨いと感じた。
ウイスキーが入っていたのか。

中学の修学旅行で、友人から貰ったコーラにもウイスキーが入っていた様な・・・・・
気がする・・・・・・ヾ(ーー )ォィ

今は昔、高校時代・・・ぐらい・・・・ヾ(ーー )ォィ
旧友のTちゃんと、下北沢のバーへ通っていた。
たしか「白札」だったかをキープしていた。

高校時代・・・ぐらい・・・・・ヾ(ーー )ォィ
同級生との忘年会は下北沢の居酒屋。
5人でワイン2本・ウイスキー2本を空けた記憶がある。

何だか、大らかな時代であった。

久しぶりのコークハイを飲んで、フッと脳裏から青春時代が飛びび出した。

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2013年05月02日

八十八夜                 惜春

今は昔、子ども達が小さき頃にゴールデンウイークは連休を取って田舎に泊まりに行っていた。
農家のゴールデンウイークは田植えで忙しい。
田植えは手伝えないが、掃除・炊飯の手伝いは来る。
子ども達は畑で虫を捕まえて遊び、ネコにちょっかいを出す。
夜は義父・義母がそろい、夕食を囲みワイワイと近況話に花が咲いていた。

田植えの時期はカエルが五月蝿い。
夜になると眠られないぐらい一斉に鳴く。
女将は幼少の頃から聞いているので、子守歌を聞くが如く熟睡していた。
この話をすると、東京の方が車の音で眠られなかったという。

自宅は甲州街道の信号の脇にある。
信号が変わる度に車の発進の音がして、気になり眠られないといっていた。
小生はこれが子守歌を聞くが如く熟睡できる。

20130502 とある日の水田.jpg
時代の移ろいに無常感を覚え、今はなき田舎の水田にもの思う。

田植え時のカエルの五月蠅さには辟易としたが、それ以外の時期はかえって静かすぎる。
希に通る車の音と風の音しか聞こえない。
偶に鳴く、ネコの鳴き声にドキッとした。

余りにも静かすぎて、耳元で「シ〜ン」という音が鳴りやまない。
振り返ると、この「シ〜ン」で眠れなかった記憶がある。

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2011年11月18日

金盞花香し             店舗誕生記 その2

京王線上北沢にて19年間続いた“麩羅座てん"は、道理交通法などの諸事情により一時たたんだ。
次の店を探しながら勤めた蕎麦屋は、嫌々ながらも生活のために仕事をこなす。
毎度毎度の下らない料理に嫌気がし始めた夏頃に、不動産屋から連絡が入り「小田急線の祖師ヶ谷大蔵に物件がありますが・・・・」と。
案内された店舗は、駅から徒歩2分という魅力な立地。
利点・欠点が明確に分かれて、出店の判断がなかなか着かず悩んでいた。

実はこの店舗、1年間空いていた事を知っている。
地下1階にある空間は・・・・・・店舗ではない。
倉庫なのだが、エレベータが付いて給排水電気設備はある。
22坪の広さは丁度良いが天井が低い。

店舗でない割には家賃・保証金がバカ高な空間。
窓もない、空調設備もない。
コンクリート打ちっ放しの空間は、音の反響で会話もままならない。
ここは空いていても当たり前だった。

家賃交渉が満足できたら契約をしようと準備をする。
交渉に入りながら、収支計画を練る。
図面を手に入れて絵を描き、建築屋さんとの打ち合わせと建築費の交渉。
仕舞ってある器具・備品を点検する。
銀行へ借り入れの算段。
全ては仕事をしながら動くので、3〜4ヶ月は慌ただしく過ぎていく。


働いていた蕎麦屋を辞める話をするのだが・・・・・
ここの蕎麦屋は人使いが荒く、給料もすくない。
誰かが入ると、誰かが辞めてしまう。

夜だけでもアルバイトで働いてくれろと、時給は言い値で良いと頼まれた。
仕方がないので了解をするが、店のオヤジは信用ならない。
タイムカードをコピーして自分で計算をする。

・・・・やはり時給は誤魔化されていたので、店とは・・人とは・・と、懇々と説教をした。


唐墨仕掛かり報告 その1

20111118 唐墨.jpg
色形はほぼ完成品に近いのだが、中の水分は未だ抜けずに手に取ると柔らかい。
週末は雨の予報なので、冷蔵庫にて休ませる。
ザックリとの予測は、後2週間というところか。

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2011年11月03日

紅葉蔦黄ばむ           店舗誕生記 その1

平年より暖かい気候に感覚がついて行けない。
からすみの塩出し何時だとか、ぬか床の発酵具合だとか、うどんの伸し具合だとかと、色々と悩んでいるもなか・・・もとえ、さいちゅう。

昨晩、息子がサークルの仲間達と東北支援のボランティアに出かけた。
安全靴だ、軍手だ、マスクだ、ごちゃごちゃとしていたが、何かが抜けているだろうは何時ものこと。
勝手に持っていったクーラーボックスが無事に戻ってくれることを祈る。


今をさること6年前に、蕎麦を極めようとそば屋を探す。
次の新規店のステップにしようと考えていたのだが、生活のための足かけにしかならなかった。
10ヶ月ほどお世話になり悟った事は、誠意ある仕事と自分を誤魔化さないこと。

毎度毎度の下らない料理に嫌気がし始めた夏頃に、不動産屋から連絡が入る。
「小田急線の祖師ヶ谷大蔵に物件がありますが・・・・・」と、
「が・・・・・」か、ナンだそれは。

祖師谷大蔵は小・中時代に、柔道を習いに成城警察まで通った町。
成人になってからも数回は交通課におよばれしているし・・・・・・(^^*ゞ ポリポリ。

土地勘はあるとおもっていたが、案内されて行って見ると小田急線は高架になり南と北の商店街がつながって、拓けているではないか。
そうか、成城警察が環八に移転してからはご無沙汰している。

案内された店舗は、駅から徒歩2分という魅力な立地。
駅から近いが、商店街からは離れている。
城山通り沿いにあるが、動線からはずれている。

地下1階にある空間は・・・・・・店舗ではない。
倉庫ではあるが、エレベータが付いて、給排水は業務用。
給排水電気はあるが、ガスは引いていない。
22坪の広さは丁度良いが天井が低い。

利点と欠点が多い空間で、色々と悩みまくり調べまくるのだが、如何にしろ蕎麦屋仕事との掛け持ちは辛い。
・・・・続く。

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2011年10月19日

蟋蟀戸にあり          今は昔 そば屋奮闘記6

夜は10時に看板をおとすのだが、お客様が居られれば営業をしている・・・・・・(*~ρ~)ウィ~。

昨晩は10時に閉めて、山チャリで帰宅。
東の低い空に浮かぶ妖艶な半月が、朽葉色に映る。
この月は朝になると淡い色に変わり頭上にのぼることだろう。


今をさること6年前に、蕎麦を極めようとそば屋を探す。
なかなか見つからずに、生活のために入った蕎麦屋は最悪の脱サラ店だった。
だが場所柄お客様は多く、メニューも豊富にある。
素人蕎麦屋だが、割烹もどきのメニューを作る。
刺身・焼きのも・煮物に懐石コース・・・・
意欲は湧かないが一応はプロ、それなりの厨房と調理道具で何とか仕事をこなす。

嫌な日々が続いている訳ではない。
良い従業員もいれば、適当にサボったりもする。
蕎麦職人がいて、釜の使い方・茹で方・盛り方、等々打ち方以外は全て吸収をした。
比内鳥を毎日裁き、仕込み方法は完成をした。
自分で作る賄いも豪華で旨いし・・・・・d(>_・ )グッ!。

だが3〜4ヶ月も経つと飽きてきた。
毎度毎度の下らない料理に嫌気がし始めたところに、知り合いの不動産屋から連絡が入る。
「小田急線の祖師ヶ谷大蔵に物件がありますが・・・・・」と、
「が・・・・・」か、ナンだそれは。

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2011年10月09日

寒露 雁来る         今は昔 そば屋奮闘記5

夜半に雨が降ったのか、路面が濡れている。
この雨で空は澄み、大気は爽やぐ。
秋雲はゆっくりと移り、青空を見せている。
今夜は十三夜。
雲が流れれば、南に浮かぶ名月を愛でられる。

日中は暖かだが、朝は冷える。
うどんの塩分濃度を変えたとたんに麺が不安定になる。
未だ試練は続く。


今をさること6年前。
蕎麦を極めプロの技を掴もうと、そば屋を探すが・・・。

蕎麦学校を終えて決まった就職先は、中央線沿線は神楽坂の近くの手打ちそば屋。
脱サラの親父が経営をしていが、場所柄人の出入りが多く、大規模マンションの中にあるので雨の日は意外と忙しい。
のれんには手打ち蕎麦とうたってはいるが、実は機械練り機械打ち。

お客様が使ったおしぼりを消毒して、キッチンタオルとして遣い回す。
洗った手を前掛けで拭く親父。
奥の座敷はダニに食われる。
店を閉めてシャッターを下ろすと、親父の飼っている大型犬が厨房の中をうろつく。

不衛生きわまりない店でのだめ押しは人使いが荒すぎること。
朝の9時半より仕込み始めて、夜の10時過ぎまで不休で働く。

通しの蕎麦屋といえば、遅くとも8時頃にはのれんをしまうのだが、居酒屋ごときのここは10時過ぎまで営業をしている。
昼過ぎになると単品でコーヒーまでだし、喫茶店の如くなる。
香りにうるさい蕎麦屋がこれでいいのか、
和食の料理人にコーヒーを入れろだと・・・・・・ムカ・・・(-_-メ)。

人手不足で休憩時間はなく、今まで昼の賄いは誰が作っていたのだろう。
各々が適当に何かを食べている。

見るに見かねて賄い番長を名乗りでる。
見習い時代にとった杵柄、冷蔵庫にある食材をフルに活用。
コロッケ・カレー・焼きめし・焼きそば・・・・、残った魚は煮付けで食す。
店のメニューも戴き、天丼・カツ丼・親子丼。
親父に黙って店の食材を使いまくり、従業員は賄いが唯一の楽しみになったとか。
店の料理より、賄い作りに力が入る。


十三夜の月を愛で「無双」と賞したのは宇多法皇か。
徒然なるままに、月をもてあそぶに良夜とす。

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2011年09月18日

燕去る           かいわれ大根の日  

南大東島付近で停滞してる台風ロウキーは、どうやら九州に進路を変えるらしい。
紀伊半島の被害が気になるところ。
そして台風ソンカーは父島付近ににあって、銚子に進んでいる。
前回と同じパターンを辿る。

西日本と東日本の太平洋側で荒れると、どうやら来週の河岸は期待薄。
この台風が夏の暑さを運び去り、本格的な仲秋になってくれるのか。

夏の暑さによる夏バテで胃腸が疲れてくるのも今時で、食中毒の多い時期となる。
万全の注意をするも、フト6年前に勤めていた蕎麦屋の仕事を思い出してしまう。

今を去ること6年前、今の店のつなぎに仕事をした神楽坂付近の手打ちそば屋。
手打ちと言っているが実は裏で機械打ちをしている。

ここは蕎麦はもとより、天丼・カツ丼・親子丼など、そば屋の定番はあるが・・・・
刺身・焼き物・煮物・焼き鳥・とり鍋・・・・ステーキ・うなぎ・懐石コース・・・何でもござれの店。

料理を仕込むが、仕込んだ料理を仕舞うタッパーが一つもない。
梅干し・お新香の使い捨てプラスチック容器、スーパーのビニール・手提げ袋、などを壊れて破れるまで酷使する。
柔らかい煮物などは寸胴に仕舞いラップでかぶせる。
クッキングシートやらペーパータオルなどは皆無。
お客様が使った業務用のおしぼりを消毒して、キッチンタオルとして遣い回す。
奥の座敷で休んでいると、ダニに食われて皮膚がかぶれる。

今まで働いてきた店は数あれど、こんな不衛生な店は初めて見た。

だめ押しは、店を閉めてシャッターを下ろすと親父の飼っている大型犬が厨房の中をうろつく。
この光景を目のあたりにした時は目眩がした。

保健所に通報しようかと考えたほどの不衛生さでも、生活のために働く辛さ。
今までよく食中毒が出なかったのが不思議でならない。



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2011年09月11日

二百十日         小望月

無線キーボードは線が邪魔をしなくて使い勝手が良いが、とんだ無駄なミスをしてしまった。

パソコンを使い始めてから、四半世紀が経つ。
当時はNECのPC8801という機種を使い、ワープロソフトは確か“春望”とかいうソフトたったような。
しばらくするとPC9800シリーズが出て、PC8801はゲームソフト主流の機種になってしまった。
まぁ、ゲームもかなりやったか。

インターネットなどは無かった時代に8801から9801に買い換えた。
ワープロソフトは“一太郎”で、これは今でも続いている。
同時にドットプリンターを買った。
長さ70センチはあろう機械のインクリボンから打ち出される16ドットの文字に感動をしたものだ。
ガチャガチャうるさいのはご愛敬だか、今にしてみればばかげた出費だった。

その後PCに必要性が感じられなくなったのとワードプロセッサーの性能が良くなったのでシャープの“書院”をフル活用した。
これは持ち運びが出来て便利だった。
黒のリボンからカラーリボンになり、リボンからインクに変わるまで、3台ほど買い換えた。
Windows 3.0 のバカ騒ぎを横目に、メニューやら資料やらを作っていた。

インターネットが主流になり始めたころにPCに戻った。
8年ほどの空白の間、浦島太郎になったかの如く時代に取り残されたと感じる。
技術は日進月歩ならぬ秒進分歩の如く。
今では信じられない程の高スペックは当時の数千倍になったが、値段は五分の一。

キーボードを打ち込むスピードは変わらないが、2年前にマウスを左手に変えてから作業が早くなった。
だが子ども達の尋常ではないスピードを比べると、時代が違うのかとジジ臭さ感が出てしまう。


新しく買い換えた無線キーボードをつなげるも、Uは4になり、Iは5、Oを押すと6になる。
焦る・・・・・
キーボードが壊れた所為ではなかったのか。
壊れたと思った前のキーボードは処分してしまった・・・・・・・・・・・(゚_゚i)タラー・・。

訳がわからずに、目の前真っ白。

ダメ元でシステムの復元を行う。
取りあえず1週間前に戻すと・・・・・直ってしまった。

PC歴が長いといってもただいじっているだけで、これに気づかないバカさ加減にホトホトあきれる。

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2011年08月20日

初涼           今は昔

ラジオから流れる優勝の校歌に合わせて口ずさむ。
卒業して30数年が経つが、未だに諳んじられるのは何かとよく歌わされたからか。
甲子園で、我が母校が10年ぶりに優勝をしたのは、11得点という大差であった。
途中結果を見ても、ハラハラする感が無く気が抜けてしまった。


赤坂校舎から町田に移転した年に入学した。
山1つを潰して造ったという校舎は、当時は東洋一とうたわれた。
当時流行っていた宇宙戦艦ヤマトに似て、頂上に高くそびえる司令塔は職員室。
その下から3年、2年、1年と段々畑の如く校舎が下ってくる。
校舎の下にはプール、武道場、体育館があり、その下に4百メートルトラックの運動場。
運動場を下ると野球場があり、ナイター設備まであった。
昔の甲子園球場より数メートル広いと記憶している。

学校を一周すると30分は優に掛かったか、梅雨時になるとまむしが良く出るし、狸が死んでいる光景にも出くわした記憶がある。
保健室には血清まで備えていた。

今は多摩センター駅から市バスが出ているが、その時代はスクールバス。
駅は改札のみで売店の一つも見あたらないが、駅のそばに駄菓子屋が一軒あった。
ここの駄菓子屋は当たったであろう。

当時は男子校で校舎中に汗臭さが充満していた。
小生は倶楽部で武道をやっていたので、帰りは色々な運動部の連中と連んで帰宅をする。
野球部は寮生が多かったので、帰宅人数が少ないが良く話をして帰る。
時間が空くと、途中下車をして喫茶店で一服。
みんなが先輩からいじめの如くしごかれて、高校時代は青春などクソ食らえであった様な。

ラジオから流れる優勝の校歌に合わせて口ずさみ、青春時代の辛い思い出がよみがえる。


当時のスクールバスはつり革がなく、
手すりには木刀が十数本結わえられていた・・・・・・(゜゜☆\(--メ)ポカッ。
みんな根性は入っていた。

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2011年07月13日

蓮始めて開く       今は昔 そば屋奮闘記3

今をさること6年前。
蕎麦を極めようと、はたまた雰囲気を掴もうと、そば屋を探す。

蕎麦学校を終えて決まった就職先は、中央線沿線は神楽坂の近くの手打ちそば屋。
脱サラの親父が経営をしていが、場所柄人の出入りが多く、大規模マンションの中にあるので雨の日は意外と忙しい。
のれんには手打ち蕎麦とうたってはいるが、実は機械練り機械打ち。
蕎麦はもとより、天丼・カツ丼・親子丼など、そば屋の定番はあるが・・・・
刺身・焼き物・煮物・焼き鳥・とり鍋・・・・ステーキ・うなぎ・懐石コース????・・・・アレレレ!?(・_・;?・・・
こんなに誰が仕込むのだ。

朝の仕込みはカツ丼用のパン粉付け、米を研ぐ、お新香、天ぷらの具材の準備をこなして昼の営業を迎える。
昼は天ぷら揚げとカツ丼担当で、夜は焼き物・煮物・揚げ物担当。

2つあるフライヤーは天ぷら用とカツ丼用でオーダーがあると料理をする。
如何にしろ安いサラダ油を酷使して使い、油がボロボロになろうと漉して継ぎ足せといわれた。

昼のピークが一段落すると親父は赤いスポーツカーで買い出しへと出かける。
池袋の近くの大型スーパーへ魚、肉、その他諸々を買ってくる。
そして仕入れは築地に行っていますという会話をする・・・・ヽ(゚〜゚o)ノ アキマヘンワ。

料理人は小生を入れて四人プラス親父。
隣どうしの2つの店を行ったり来たりする。
厨房はネットオークションで揃えた不揃いの器具が並び、遣い勝手が悪く尚かつ狭い。
無駄な動きが多く、せわしない厨房で精神的に疲れる。

1週間目で辞める決心をするのだが・・・・・子供達もお腹を空かせて待っているし。
やっと決まった働き先で女将の悲しむ顔を思うと、忸怩たる思いでこの精神的苦痛に耐えてしまう。

そして約9ヶ月続くのだが、この間は愚痴ばかり・・・・・続く。
posted by tenmogura at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 今は昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする