2011年04月29日

昭和の日        今は昔 そば屋奮闘記2

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」
平成に置き換えると時まさに今だが、御上が足を引っ張って泥沼でもがいている様に思える。


麦学校を無事に卒業してやっと決まった就職先は、中央線沿線神楽坂の近くの手打ちそば屋。
手打ち蕎麦とのれんには書いてあるが・・・・実は機械打ちで、蕎麦以外に何でも出す店であった。

500所帯はあるであろうマンションの1階に手打ち蕎麦と書いてあるのれんを出している。
500所帯は事務所・居住用・店舗と雑多な人々が出入りしているので、当たり前だが雨がるほど忙しくなる。
ここのそば屋、2店舗分を1店舗として使っているので入り口が2つあり厨房も2つある。
厨房は裏口から出入りをして隣の厨房に行く。
1つは揚場と焼き場・ご飯物を作る厨房で、もう1つは刺身・蕎麦ゆでのオープンカウンターの厨房。

たとえば天せいろの注文が入ると、揚場で天ぷらを揚げて隣の厨房で蕎麦を茹でる。
やりとりとタイミングはインターホンで確認する・・・・ややこしく、疲れる。

それに加えて、店主が公務員上がりの素人ときた。
蕎麦好きが高じて店を持ったという、まさにサライオヤジ。

ここで得るものは何かと考える・・・・給料と・・・・・…c(゚^ ゚ ;)ウーン・・ナニモナイ。

因みにこの店のお刺身は池袋近くの大型スーパーで買って来て、築地直送のような顔をして売る。
この話は後日・・・・。






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2011年03月03日

上巳の節供        今は昔 そば屋奮闘記1

蕎麦学校を無事に卒業し、情報誌を片っ端からめくりながら飲食店の蕎麦・うどん関係を探す。
知命後半にさしかかった親父など、なかなかどうして雇ってはくれない。
やっと決まった就職先は、中央線沿線神楽坂の近くの手打ちそば屋だった。
500所帯はあるであろうマンションの1階に手打ち蕎麦と書いてあるでかいのれんを出している。

就職情報誌とホームページを照らし合わせて応募し、面接時に蕎麦談義をした。
覚えたてのうんちくとはったりで会話は進み、目出度く就職の運びとなったが・・・・・・

違う・・・・・のれんには手打ち蕎麦と書いてあるし、ホームページにも打ちたてと書いてあるが・・・看板に偽りあり。
機械打ちであった。
だからといって今更やめるわけにはいかない。
兎にも角にも生活費を稼がないことには、ぷー太郎では家に居られない。

蕎麦以外に天丼・カツ丼・親子丼などはそば屋の定番。
刺身・焼き物・煮物・焼き鳥・とり鍋・・・・ステーキ、うなぎ、????・・・・アレレレ!?(・_・;?・・・

凄まじいメニュー構成で大丈夫なのか、と心配をしつつ仕事に励む。

初日に意気込んで、包丁を一式持参したが・・・・
まともに使える厨房ではない事は一目見て解った。
包丁一式は、持参したその日に持って帰った。
・・・・続く。





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2011年02月09日

うぐいす鳴く       今は昔 うどん修行4

ラジオでは夜半から雪が降ったという。
朝はみぞれ交じりの小雨だが、湿度が上がり幾分楽になった。
今までは湿気が低く、手をぶつけるとひび割れるほどの乾燥で、いたいと感じると傷になっていた。
ワセリンが手放せない。


10日間、うどん教室に通っての最終日。
卒業課題は、自分で考える。

500グラムの二八蕎麦から始まり、1キロのそば粉、更級、変わり蕎麦、500グラムの十割蕎麦、そしてうどんなどを打ち尽くした。

最後はそば粉2キロの十割蕎麦を打つ。
加水率47パーセントで3キロ弱の玉が出来る。
水回しから丁寧に玉まで作り、慎重に手早く伸す。
外側に多少のヒビは出るが気にせず伸す。
教科書通りに畳み、しっかりと切る。
プロとしては通用しないが、一応は形になった。
後は打ち込むのみ。

蕎麦教室を終えて、次の店が決まるまでに生活費を稼がなければならない。
女将は隣町のレストランの厨房で汗を流している。

情報誌を片っ端からめくりながら飲食店の蕎麦うどん関係を探すも、知命後半にさしかかった親父などなかなかどうして雇ってはくれない。

3〜4件回ってやっと決まった就職先は・・・・ヽ(´o`;、
神楽坂の近くの手打ちそば屋だったのだが・・・・・

ここでも色々と面白い問題が出てくるが、良い話はないので屋号は伏せておく。


2キロの蕎麦粉を打ち、20人前の蕎麦は一人で食べるには相当の量がある。
家族はうどん好きだが、蕎麦は嫌いで食べない。
今まで打っては持って帰った蕎麦をモッタイナイからといって全部食べていた。
7〜8人前なら朝から晩まで食べきれるが、20人前になると流石に血管から蕎麦が流れ出てきそうになった・・・・(~ヘ~;)ウヘェー。



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2011年02月04日

東風凍を解く       今は昔 うどん修行3

葛西にある蕎麦学校まで、毎日の如くバイクで通う。
受講コースはインストラクターコースの10日間で、打ちそばを確実にマスターするコース。

教室には打ち台が多数あり、インストラクターコースとプロ養成コースは同じ場所で教えてもらう。

受講に来るのは定年間近のサラリーマンが多く、趣味が高じて教室に通うらしい。
旨く打てれば家族に出し、家族が飽きれば近所に配る。
戴いた人はお世辞にも旨いという。
ロハで配るのだから不味いといえない。
打って、配るうちにうんちくを覚え、語りたがる。
作務衣を着て、蕎麦を語る親父をサライ親父と言うらしい。

そして、そんなに旨いのなら商売になると勘違いをし、定年後に開業の運びとなる。
ほとんどはこのパターンらしい。

オヤジ達の話を聞くと、自宅を改装して後は釜を入れるだけとか、プロコースを終えたらそば屋へ修行へ出るとか言っている・・・・┐('〜`;)┌。

涙ぐましい努力をして、プロ顔負けの腕まで高め、脱サラをする人も中にはいる。

蕎麦業界・蕎麦関係の雑誌社・蕎麦店専門の建築業界が結託して、手ぐすねを引いて待っている。
蕎麦教室が建築屋を紹介して店を作り、建築屋が雑誌社を紹介して店舗を掲載する。
雑誌社が蕎麦業界の広告を載せる。
やはりそこには、幾ばくかの紹介料が流れ、オヤジ達の退職時の虎の子は三業界の回り物となる。

不振で店を畳むと、そこには新しいそば屋が出来る仕組みになっている。

蕎麦打ちの先生と蕎麦打ちのオヤジ達の会話を聞いていると
よく見えてくるモノがある・・・・・(ー'`ー;)ムウ〜・・・・考え深い。

教室の中には、打った蕎麦を細かく刻み、粉と水を足して何度も打つという強者もいる。
そば屋の息子?。
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2011年01月19日

寒の水          今は昔 うどん修行2

うどんの教室を探すが、満足のいくところはないので蕎麦学校に行く。
葛西にある教室まで毎日の如くバイクで通う。

受講コースはインストラクターコースの10日間。
これは町おこし、アウトドアの指導員として、手打ちそばを確実にマスターするコース。

初日は蕎麦の概論から始まり、製粉の仕方から茹でかたまで一通りの授業を受ける。
実践はそば粉と小麦粉を混ぜた2・8蕎麦を500グラムから打つ。
一から丁寧に教わる。

「水まわし」から捏ねる「くくり」。
ばらばらの粉が徐々に固まりだし、段々とまとまってくる。
一つにまとまったら、粘りがでるまで捏ねる「ヘソ出し」という行程。
これは傷を無くしツヤを出し、丸くきれいな玉にする。
玉を均等な厚さに手で押しつぶす「丸出し」。
そして麺棒で伸していく。
「四つだし」は四角になるように伸す。
江戸前蕎麦は2本の麺棒で巻き取る様にして四角く伸していく。
江戸の蕎麦打ち場は狭かったので、巻き取るようにしなければ蕎麦が伸せない。
逆に田舎蕎麦は広い場所で打つので、丸く丸くどんどん伸していく・・・そうな。
そうなるとたたみ方も決まりがあり、順を追わなければ長い蕎麦が出来上がらない。

畳んだら切る。
駒板という特殊な板をあてがい、ずらしながら細く切ってゆく。
リズム良く打つ。

指導の先生曰く「どのくらい打っていたの?」と、
「蕎麦は初めてです」と言うと驚いていた。
当たり前だ、包丁歴20数年がモノをいう。

我が家は、家族全員うどん好きで蕎麦には興味が無い。
持って帰った蕎麦は3食小生が食べた。

基礎を覚えると何だか面白いではないか。
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2010年12月31日

大祓          今は昔 うどん修行1

昨日のお試し用に打ったユメシホウの冷や麦は、お陰様でご好評につき完売。
暮れの忙しい中にわざわざご来店戴いたお客様に感謝、感謝で今年も暮れる。
大晦日は注文料理の仕込みと大掃除に時間がかかり、家の事などは一切女将に任せっきり。
お正月は店の残り物で迎えるのは毎年の事。


家族を置いてのベトナム・ベルギー独り旅からの帰国は5年前の11月末。
女将は隣町のレストランの厨房で汗を流している。
長男、長女は中高校受験に追われている。
家族の中で唯一の遊び人に成り下がってしまった。
そして、家族の中で独り取り残された感じがする。

とりあえずアルバイトを探そうと思うのだが、その前にやることがあった。
これをしなければ次のレベルに上がれない。

うどんは独学で打ち始め1年が経った。
納得のいく出来にはならないが、店で売っていた。

母方の田舎は埼玉県の加須うどんの隣町。
ハレの日になるとうどんを打つ文化がある。
幼少の頃からうどん打ちを手伝っていたので、何となく身体は覚えているがそれは昔の話。

粉は多種類ネットで取り寄せが出来るが、独学の打ち方では商売になるうどんにはならない。
そして基礎が解らないと応用が利かない。

うどんの教室を探すが、満足のいくところはないので蕎麦学校を見つけた。
都内に数々あるが、葛西にある教室はそば屋も経営して打ち台も多くある。

蕎麦打ちコースはプロ養成から、インストラクターコース、お楽しみコースといくつかある。

プロ養成は蕎麦は元より、天麩羅・鴨・そば会席・蕎麦寿司・、雑炊などなどプロのそば屋になる基本をマスター出来る。
授業はそばの概論・そばメニュー・製粉技術・店造りのポイントまで教える。
これは1ヶ月で35萬円もかかる。

だが、そんなものは必要ない。
蕎麦が打てればよく、インストラクターの10日間コースを受講した。
1日2回を10日間かけて、基礎から打ちこなす。
これは10日で4萬2千円。
理論は入らない、身体が覚えればよい。

冬の寒い中にせっせとバイクで通う・・
・・・・・・・続く。
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2010年12月22日

冬生じ夏枯る       今は昔 ベルギー紀行5

満月と皆既月食が雨で見られずに残念。
この雨が帰りがけに大雨となり辛い帰宅となった。

本日は冬至で、晴天の十六夜。
お通しは南瓜を練り込んだ白和え・・というか黄和え・・(´`;) ?。
ボイルした南瓜を豆腐と混ぜ裏ごしをして当たりを付ける。
具は小板・車海老・ブロッコリー。
具は多少違うが、昨年と一緒でとうじつ限り。


ベルギー滞在中は毎日観光案内をして頂ける訳ではない。
T氏もアントワープ在住のS氏も仕事がある。
両氏の仕事中は独りでぶらぶらと町を歩くのだが、言葉も通じない。
勝手も解らない一人歩きは不安だらけ。
それでも好奇心が湧き、ガイドブック片手に歩き続ける。

20101222 ノートルダム大聖堂.jpgアントワープのノートルダム大聖堂。
恐る恐る入場料を払い中に入る。
専門的な美術評論は出来ぬが、
兎にも角にも凄い・・\(°o°;)/ウッヒャー。


20101222 ステンドグラス.jpg16世紀のステンドグラスは優美。





20101222 国立海洋博物館.jpg国立海洋博物館はスヘルデ川河畔にあり、ノートルダム大聖堂を過ぎ20分程歩く。
建物はどうやら刑務所、牢獄だったらしく暗く切ない。
内容は、船の模型や航海の用具・海図などの展示。


20101222 WC.jpgグルン広場のルーベンスの像。
聖カロルス・ボロメウス教会。
王立美術館。
朝から夕方まで、独りオヤジ旅はテクテクと疲れ果てるまで歩き続ける。

夕食は氏達と3人で、川沿いのポンプ小屋を改装したフランス料理屋さん。
ワインを傾けながらの前菜は何だか忘れた。
パンも旨い。
スープも旨い。
メインは舌平目のムニエル。
ドーバー海峡で育った鮮魚は美味しいが、バターや香辛料を使うよりも、山葵醤油で食したい。
デザートは大きめのグラタン皿にたっぷりと盛られた焼きプリン。
食べ過ぎだ〜。

ここの男性用小トイレの中にハエのシールが貼ってある。
これは・・・・<(_ _)>イタダキマシタ。
只今、当店の小トイレにも真似をしている。

家族を置いてのベトナム・ベルギー独り旅。
異国の文化を垣間見て、自分の中で吸収できればと意気込んだが、なかなかどうして難しい。
料理は参考になったがそれを使う店は無く、次の店舗を探すまで温めて置くこととなった。

自宅に帰り、とりあえずアルバイトでもと考える。
だがその前にやることがあった。

女将は隣町のレストランの厨房で汗を流している。
長男、長女は中高校受験に追われている。
家族の中で唯一の遊び人に成り下がってしまった。
そして、家族の中で独り取り残された感もしないでは無かったが、これをしなければ次のレベルに上がれない。

続く・・・・・・┐('〜`;)┌ヤレヤレ。

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2010年12月13日

上弦の半月        今は昔 ホノルルマラソン1

AM6:00起床。
外は今にも降りそうな曇り空。
久しぶりの家朝食に満足をするも、女将は義父の病院へ行く準備で慌ただしい。
朝しか時間がとれないので調べ物と読書。

昼前に打ち合わせのために新宿へ出かけ、その足で店に寄る。
午後は店で宴会の仕込み&床の大掃除。
来週からはご予約が入っているので掃除をする時間も取れない。

携帯ラジオからはホノルルマラソンのニュースが、ちらほらと聞こえる。
毎年12月の第二日曜日はホノルルマラソンが開催される。

独立して店を開店したのは27歳の春。
それから5年の間はバブル時代で、無我夢中で働きながら遊び、飲んだ。
仕事の後の酒と〆ラーメンはたまらなく胃に心地よく、良く寝られる。
その所為で体重が15s以上増えて、醜いオヤジと変身してしまった。

たばこ、夜更かし、寝しなの食事・・・。
これでは壊れると危機感を覚え、1年前に買ったジョギングシューズを取り出し、走り始めたのは32歳か33歳か。

自宅近所の精神病院は周囲2,2qの遊歩道に囲まれている。
半周も走ると息切れをしていたのだが、継続は力。
半年もすると2〜3週は軽く走れて、体重も減ってくる。
それならばと思いつきで「ホノルルマラソンだ」と、
「42,195qだ」と・・・・
いつもの如く豪語する。

だが、何故か女将が賛同した。
「あなたがホノルルへ行って走るのなら、あたしも走る」と。

それからの半年間は夫婦で競い合う様にして走り込んだのであった
・・・・・・続く。



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2010年11月23日

新嘗祭          今は昔 ベルギー紀行4

色々な目的を持ってベルギーへ旅へ出たが、ブリュッセルにある日本料理屋の店長は即諦めた。

20101123 海老料理.jpg次の目的は海老料理。
場所は忘れたが、車で結構走った様な気がする。
同マンション在住T氏は、この海老の味を持って帰って日本で売りたいと言う。
前評判は美味しいと聞いていたのだが、フランス料理に辛さをプラスした様な感じ。
出汁は海老の味噌が濃厚に出ているのだが、和食職人としてはいささか難しく、帰って作るにも厨房がない。
ここの店の桃のワインは美味しい印象があった。

20101123 城.jpg滞在中はアントワープ在住のS氏のお世話になる。
昼間は観光案内、夜は食事と日々つきあって戴いた。
ブリュッセルからフランス国境近くまでは、城巡りのドライブ。
写真に納めるも枚数が多すぎて何処が何処だが忘れてしまった。
ここいら当たりは平野を走る。
何処まで走っても山がなく開放感があり、遠くで風が吹くとそれが流れてくるのが目に見えるようだった。

アン・シュール・レッスの鍾乳洞見学は、トロッコ電車で洞窟入り口に向かい、徒歩で鍾乳洞見学。
そして、行く町々で飲むビールの銘柄が違う。

20101123 スパ.jpgとある町にあったスーパーは茨城のコンビニと同じマークで、色使いも同じ。
どっちがまねをしているのかと思いきや、茨城のSPARは最近COCOと言う名称に変わった。


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2010年11月12日

地始めて凍る       今は昔 ベルギー紀行3

同マンション在住T氏はダイヤモンド関係の会社を興し、ベルギーはアントワープにマンションを所有している。
日本料理屋の視察&料理の試食&観光を兼ねて、再び1人長旅に出る。

とえあえずの第一の目的は、ブリュッセルにある日本料理屋。
ここで店長として、5年間で仕切り直しをしてくれれば権利を買い取るという。
話だけは聞いていたが、いざ行ってみると・・・
カウンター8席×2・テーブル4人掛け20席・座敷多数・・・・・・・・広すぎる。

入った瞬間に悟ったが、とてもじゃないが手に負えない。
仕入れ、食材調達、従業員との意思疎通、営業能力・・・などなど、全てが小生の受容力を超えている。
これが日本なら何とかなったのかも知れないが、とうそぶく。

食事は揚げ出し豆腐・卵焼き・天ぷらなど普通の和食で、やはり化学調味料味。

息子が受験で、家族が大反対をしているとか、
言葉の障壁で自信がないとか、
熱燗を飲み、つまみを食つつ断る算段をしている。
因みにフランスからシラク元大統領も来ていたという。

そして、断る腹が決まれば後は楽しむのみ。
観光やら、食べ歩きやら、楽しい1週間。
・・・・もう一つ海老鍋料理の試食解析が待っている。

20101112 ナポレオンデスマスク.jpg観光で連れて行ってもらったラ・ベル・アリアンス。
ワーテルローの戦いの戦場となったここには、博物館がある。
当時の武器だの人骨だのが展示されている一部にナポレオンのデスマスクがあった。
だが、ここでのナポレオンは英雄視されていない。

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