2009年07月31日

二の丑の日          今は昔

築地のマンションの寮に入り3年間修業時代を過ごした。
その後、家庭の事情で家からの通勤になるのだが、その時期と並行して銀座店を新規に出すことになり立ち上げに参加する。

立ち上げ参加などとかっこは良いが、要するに何時でも動け何でもする便利な奴というポジションで、兎にも角にも朝一から夜半まで働きずくめ。

通勤時間が惜しくバイクで通勤をするぐらいにこの時期が一番働いた様な記憶がある。

銀座での仕事は朝一の掃除、大根おろし、昼のご飯・味噌汁の準備から魚・野菜の仕込み。

昼は天丼を揚げるのだが1日100人前ぐらいを揚げこむ。
これ数にして約5〜600個ぐらいであろう。

ご飯が足りないと焚きに走り、味噌汁が足りないと作りに走る。

昼がボチボチ空き始めると夜の仕込みを始め、従業員とパートの人たちの賄い作り。

休憩時間は伝票整理、買い物で休む暇無し。

夜の営業時間は厨房に入り1人で刺身、焼き物、焚き物に追われる。

そして月の休みのうち2回は築地店に手伝いに行く。

この頃から仕事に追われ時間が早く過ぎていく様になったのか。

それでも1年半続くハードな仕事で確実に技を覚え格段の進歩をしたと自負して、この時代が今の原動力の源と言って良いかも知れない。

この後色々問題が起きるのだが、それにしても目の保養になるのは銀座のOLのオネーちゃん達であった。


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2009年06月26日

菖蒲花咲く         今は昔

今年も富津のキスが良好。
型が揃っていて肉が厚い。
遊漁船で釣りに行くと、ここまで型が揃わないのは何故なんだろう。

キスが好いぶんメゴチがイマイチで、小型か品物がよいと値段が高くなり手が出ず、ここ2〜3週間ほどメゴチを仕入れていない。

築地の修業時代。
包丁が無いと仕事が出来ず、追廻から初めて3ヶ月で自分の包丁を買った。
練習用の安い小出刃を買った記憶がある。
始めはメゴチから覚える。
この魚は頭から尻尾まで骨が一直線でさばきやすい。
メゴチを覚えるとキス、その後穴子の順に覚えるのだが、兎に角活けの穴子はさばき辛かった。

仲買のオヤジに腐りそうなキス・メゴチを頂き、よく練習をしていた。

魚の仕込みは、先輩方とさばきの早さを競い休憩時間のコーヒー代を賭けていた。
この腐りそうな魚の練習のおかげで包丁を握って4ヶ月目ぐらいで勝てるようになる。
お金が無かったのも一要因であるが・・・・。

昨年、引き物でダンチュウなる雑誌のペティナイフをもらい、只今小魚の仕込みには小出刃ではなくこのナイフを使っている。
刃が薄いが骨を叩かなければ切り落とせ、軽くて使いやすい。

1年で刃がかなり減ってしまった。




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2009年05月31日

麦秋至る           今は昔

久し振りの頭痛で定時に起きられず、食欲もなく店へ行く。

ここのところ、うどんがよく出る。
こういう日にかぎり多く打たなければならない。
それでも具合が悪い日ほど慎重になりきっちり打てて好い出来上がりになったりする。

但し時間が掛かるが。

昨晩は釣り弟子J朗を従え、祖師谷大蔵の怪しいバーへ行くが土曜の夜で流石に満席。

仕方なく店の表で立ち飲みをするのだが、元々怪しい一画なので違和感がない。


築地の修業時代は小遣い銭で働いていた。
とはいえ住まいと食事が付くのでまるまる小遣いとして使える。

それでも1週間と持った試しがなく何時もビンボーだった。

給料日前の休みは食事も出来ず何処へも出かけられない。
自宅へ帰る片道の270円すら無い。

帰れば飯はたらふく食えるのだが、水だけで過ごすというミジメな1日をおくる。

寮はマンションで1階に夫婦で営業しているコンビニがある。
ここは金のない築地の若衆がよくタムロする場所。
そしてこの空腹の餓鬼共に好くパンを恵んでくれた。
ビンボーは今でも変わらないが、当時はそれを楽しんでいた様な気がする。


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2009年05月08日

小望月           賄い微塵カレー

一昨日からの雨は台風1号の影響だとか。
今朝は霧雨でジョギングも出来たが、いざ通勤の時間になると大雨。
難儀しながら山チャリ通勤。


築地の修業時代の賄いのお話しを。

築地本店の従業員は5人で、賄いは追廻の小生が作る。
そして予算は1人1食100円。
これでおかずを作るにはチョット難しかった。
必然的に近所の店と親しくなる。
肉屋・乾物屋・八百屋には特によくしてもらった。
なかには売れなくなった物をロハでくれる。
当時の築地は良い時代だった。

安い野菜と挽肉を買い込み、店の残り物とこれを総てみじん切りにする。
一番大きい両手鍋に水と材料を入れひたすら煮込む。
汁が半分ぐらいまで詰まったらカレーのルーを入れてしばらく煮たら、微塵カレー約50人前の出来上がり。
これを5人分に小分けをして冷凍する。
何が入っているのか忘れたが兎に角旨かった。

中にはきすの尻尾も入っていた気がするが、海老やらイカが入っていると、何だか幸せを感じた。

カレーの匂いを嗅ぐ度にこの時代と味が蘇ってくる。




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2009年05月01日

労働者の祝日        今は昔

昨晩は久し振りに、西の空に浮かぶ鮮やかな三日月を見た。
朝夕は未だ涼しいので早朝ジョギングが調子よく身体は多少軽くなった・・気がする。

築地の修業時代。
入りたての頃は追い回しと言い、毎日毎日掃除や食器洗いなどの日々。
全く面白くなく、何時も辞める事しか考えていなかった。
その中で唯一やり甲斐があった仕事と言えば賄い作り。

当時従業員は5人ほどおり、1人1食の予算は100円で朝・昼・晩と作る。
だがこれではお金が足りずまともな食事が出来ない。
朝はレトルトカレーかインスタントラーメン。
昼は残り物の魚を焼いたり煮たり。
夕食は休憩時間に仕込みをするが、入ったばかりの頃は料理自体が何であるか解らずかなり悩んだ。

そこで「家庭の料理集365日」などという主婦の料理本を買って、端から端まで作った記憶がある。
これが常連さんにも受けた。
今でいう賄い裏メニューの走りであろう。

この「家庭の料理集365日」が小生のバイブルであり今の料理の基礎となった・・・・の訳がない。

この本は大事にしまっておいたのだが何時の間にか紛失してしまった。

そういえば中華三昧なる高級インスタントラーメンはこの頃に出たと記憶している。
これは値段が高くてなかなか手が出せなかった。
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2009年04月15日

虹始めて見る        今は昔

AM5:30起床。
日はすでに登り、日差しがまぶしく暖かい。
朝日と対して南西の低空に更待月が日に当たり薄く輝いている。

明け方までの雨で湿気も有り、まさにジョギング日和。
ここの所のサボっていた身体に渇を入れる。


築地の修行時代に、同種他店の若衆が夜な夜な集うスナックがあった。
毎夜ここに集い訳の解らないバカ話に花が咲き、そしてたまには料理談議と情報交換。

そこで出会う築地の仲買のオヤジ。
面倒見が良くたまにご馳走になる。

ある晩「明日の早朝店に来い、賄いをやる」と言われ遊びに行くと、残り物の今にも腐りそうなキスやらメゴチを袋に詰めてくれる。
これを持って帰り仕事の合間に開くのだが、如何にしろ身は柔らかく、少しでも包丁の加減を間違えれば身をつぶしてしまう代物。
しかし、このぐらいが練習には良いという。
賄いは、よく揚げ天丼にする。

1人1食100円で作っていた賄い担当としては助かるおかずであった。

そしてこれが魚のさばきの基本となった、と言っても過言ではない。






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2009年04月01日

新年度 万愚節       今は昔

早朝起きるが小雨で走れず二度寝をする。
この1時間のウトウトがここちよい。

桜の開花宣言からかなり経つが、なかなか咲ききらない。

酒飲みにとって花見は暖かければよく、桜を愛でると言う大義名分があれば何分咲きであろうともかまわない。

桜を愛でながら昼宴会をしたいのだが今年も時間がなく虚しく春が過ぎてしまう。

新橋の烏森口は3年ぐらい前に工事をして広くなった。
SLはあるものの噴水はなくなっている。

約27年前、見習いの小僧時代に給料が出ると築地若衆共と連れだって烏森のカラオケパブ「シルクハット」なる店に通っていた。
ここはバニーガールのおねぇちゃんが接待をしてくれる。
当時の若造にとってそれは刺激のある空間であった。
そして、当然のことながら閉店までドンチャン騒ぎでお会計時には残金0。

ツケまでして騒ぐ日もある。

夜もしらじら明ける頃、ここの噴水の縁に座って酔いを覚ます。

新橋から築地まで中河岸を通れば20分で帰れるが若いが故に腹が減るが・・金がない。

日本人の習慣として水やら神木があるとそこにお金を入れる。
そこでこの噴水のお世話になる。

縁の近くは1円やら5円玉が多く、遠くになるほど金額が大きくなる。

小生の記憶が確かならば、当時出たばかりの500円硬貨が噴水の中央に沈んでいた。
2人で手をつなぎ支え合ってよく拾ったものだ。

春先の噴水の水はまだ冷たく、そのお金を拾う恰好がミジメで切なく、悲しくなる。

1回に千円チョットぐらいか、これで隣の牛丼屋で並盛りに紅ショウガをたっぷり乗せ腹を満たす。
たまにビールが飲める時もある。

桜の咲く頃になると、ふと思い出す。

記憶が薄れてあやふやだが決して四月馬鹿ではない。


昨日、女将がボール面器一杯の土筆のはかまを取ってくれた。

早速スモークサーモンと土筆の白和えを作る。

豆腐は絹ごしで仕込んだが口当たりが柔らかくスモークの香りと土筆のほろ苦さが酒を余分に勧める。



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2009年02月18日

雨水 土が潤い起る      今は昔

MA5;30起床。
約40分のジョギングではなかなか身体が温まらないぐらい今朝は寒い。
南の空に有明月。
視力が落ちたのかはたまた黄砂の影響か朧がかっている。
このぐらい欠けたほうが情緒ある正しい月の形ではなかろうかと思う。

築地の修行時代に、同種他店の若衆が夜な夜な集うスナックがあった。
毎夜ここに集い訳の解らないバカ話に花が咲き、そしてたまには料理談議と情報交換。

ここに飲みに来る銀座のクラブのママに、たまに車の運転を頼まれ夜中に銀座まで出かける。

確か新橋寄りで土橋付近であったろうか、徒歩で約20分ぐらい。
車はもちろん左ハンドルで酔ったママを載せておそるおそる築地まで運転した記憶がある。

これでその日の飲み代を稼ぐ・・・語る事は色々あるのだが、ふと思い出して書いてみた。

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2009年02月04日

立春 東風凍を解く      今は昔

昨晩は西の空、やや上に下弦の半月。
多分浅間山の火山灰の影響か、雲もかかっていないのにかすかにぼやけている。
立春前なので朧月とは言わないか。

28年前、飲食店を出そうと決めた。
家から出たく、住み込みが出来る店を選んだ。
それがたまたま築地という町の天ぷら割烹店であった。

修行としては20歳で入ったので人より2〜3年遅く、そして包丁の峰で叩かれた最後の世代かもしれない。

当時の見習いは落ちこぼれか料理屋の息子ぐらいで、店を出す為に見習いに入るのはそんなにいない。

入って2,3ヶ月は辛く、勝手が判らずオロオロする日々で、毎日辞めることばかりを考えていた。

ある程度仕事が出来ると在庫管理を任され、そして早朝の仕込みの為に店の鍵を預かる。

夜、店が閉店をし諸先輩方が帰ってから掃除をする。

たまに、掃除が終わると鍋を沸かし天ぷらを2〜3人前ほど揚げ練習をする。

もちろん在庫は小生しか把握していないので綺麗に片づければ誰にも解らない。

そしてこの天ぷらを行きつけの飲み屋に持って行き、酒をご馳走になる。
仕事を覚え酒が飲めて一石二鳥。

ある晩天ぷらの練習をしていると、突如先輩が入ってきた。
焦った、非常に焦った。
クビには為らないにしろ相当しかられると・・・
ところがナンと横に来て揚げ方のコツを教えてくれるではないか。

この懐の深さに感動し性根を入れて仕事を覚える。

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